写真 1
上平田と下平田集落中間の丘陵上に立地し、高松塚古墳の所在する丘陵が見える北側丘陵にあたる。
『大和志』に、「文武天皇陵は平田村に在り、俗に中尾石墓と呼ぶ」と記載されているように文武陵と考えられたこともあり、石墓の名にふさわしく、見事に川原石で墳丘が築成されていたようである。
1974年の調査で墳丘は、直径約29.4メートル、高さ約4.0メートルの八角形墳であることが判明した。当初は墳丘基底部に直径45センチ以上の大石を立て並べ、墳丘中段にも同様に囲繞した石があり、その間を人頭大の川原石で敷き詰めた状態に置かれていた。 そして、これらの立て並べた石は整斉された積み方で、破壊の際も容易に動かず、最初の一個を抜き取ってはじめて他の石を取る事を得たと伝えられている。
従来の古墳墳丘表面の茸石や貼石の類よりも、新羅王墓などにみられる外護石的な要素の加味された用法が看取される。

〜中尾山古墳(なかおやまこふん)から最新コメント〜

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